top of page
常盤成紀さんの本棚
ゼロから分かる!図解日本酒入門
山本洋子『ゼロから分かる!図解日本酒入門』世界文化社2018年
皆さん、日本酒はお好きでしょうか?僕は大好きです。ただし、あまり強くないので、努めて飲みすぎないようにしています。それはさておき、日本酒が好き、という方にも、日本酒はいろいろありすぎて難しい、よく分からない、という方は少なくないと思います。純米?大吟醸?生酒?実に色んな種類のお酒がありますし、そもそもお酒造りの行程にしても、こしき、米麹、酵母、もろみ……などなど、色んな名称が出てきます。そしてなにより、どんな飲み方が一番おいしいのか、お酒はどうやって選べばいいのか、皆さん気になりますよね。そうした日本酒の基礎知識、これを知っておけば日本酒が楽しめるぞ!という内容を、図解と対話形式で分かりやすく教えてくれるのがこの本です。この本を機会に、奥深い日本酒の世界に一緒にまいりましょう。
皆さん、日本酒はお好きでしょうか?僕は大好きです。ただし、あまり強くないので、努めて飲みすぎないようにしています。それはさておき、日本酒が好き、という方にも、日本酒はいろいろありすぎて難しい、よく分からない、という方は少なくないと思います。純米?大吟醸?生酒?実に色んな種類のお酒がありますし、そもそもお酒造りの行程にしても、こしき、米麹、酵母、もろみ……などなど、色んな名称が出てきます。そしてなにより、どんな飲み方が一番おいしいのか、お酒はどうやって選べばいいのか、皆さん気になりますよね。そうした日本酒の基礎知識、これを知っておけば日本酒が楽しめるぞ!という内容を、図解と対話形式で分かりやすく教えてくれるのがこの本です。この本を機会に、奥深い日本酒の世界に一緒にまいりましょう。
昭和史 戦後篇
半藤一利『昭和史 戦後篇』平凡社2006年
この本の著者、半藤一利は、夏目漱石を義祖父に持つジャーナリストであり作家です。授業形式の口語調(しゃべり言葉)で書かれた通史として分かりやすいと大評判になった、昭和史初心者に大変お薦めの一冊です。この本は「戦前篇」と「戦後篇」とがあるのですが、特に戦後篇は、著者が15歳の時に経験した終戦から書き始められており、半ば著者の思い出がたりのようになっているところが、更に文章を読みやすくしています。僕がこの本に最初に出会ったのは高校の頃ですが、自分の経験していない過去を大人たちがどのように見てきたのかを知る、とても貴重な本だと思った記憶があります。天皇制や占領軍に対する考え方や高度経済成長期の雰囲気など、これらの時代を初めて学ぶ方にも、振り返る方にもおすすめの一冊です。
この本の著者、半藤一利は、夏目漱石を義祖父に持つジャーナリストであり作家です。授業形式の口語調(しゃべり言葉)で書かれた通史として分かりやすいと大評判になった、昭和史初心者に大変お薦めの一冊です。この本は「戦前篇」と「戦後篇」とがあるのですが、特に戦後篇は、著者が15歳の時に経験した終戦から書き始められており、半ば著者の思い出がたりのようになっているところが、更に文章を読みやすくしています。僕がこの本に最初に出会ったのは高校の頃ですが、自分の経験していない過去を大人たちがどのように見てきたのかを知る、とても貴重な本だと思った記憶があります。天皇制や占領軍に対する考え方や高度経済成長期の雰囲気など、これらの時代を初めて学ぶ方にも、振り返る方にもおすすめの一冊です。
子育てで一番大切なこと——愛着形成と発達障害
杉山登志郎『子育てで一番大切なこと——愛着形成と発達障害』講談社現代新書2018年
この本は、発達障害と愛着障害について本邦随一の専門家・杉山登志郎医師による、発達障害と子育てについての「指南書」です。著者によれば、3歳頃までの愛着形成、そして小学校中学年くらいまでの期間にどれだけ子供ひとりひとりに合わせた教育・子育てができるかが、その後の発達障害の程度に影響を与えるといいます。その中で、母にできること、父にできること、そして社会として準備すべきことについて、架空の大学教授が質問に答えるという形式で、会話調、ストーリー的に分かりやすく書かれています。子育てに正攻法はないけれども、適切な方向に導くための考え方はある、という風に、具体的なケースを交えて色んなポイントが紹介されています。この本を手にした僕も発達障害(ADHD)と診断されているひとりです。この本を読んで、より自分のことが分かったような気がして感謝するとともに、今度は、僕自身が誰かのためにできることを探そうと思えるきっかけにもなりました。またこの本は、ブックカフェ京北で取り上げた際にも好評でした。
この本は、発達障害と愛着障害について本邦随一の専門家・杉山登志郎医師による、発達障害と子育てについての「指南書」です。著者によれば、3歳頃までの愛着形成、そして小学校中学年くらいまでの期間にどれだけ子供ひとりひとりに合わせた教育・子育てができるかが、その後の発達障害の程度に影響を与えるといいます。その中で、母にできること、父にできること、そして社会として準備すべきことについて、架空の大学教授が質問に答えるという形式で、会話調、ストーリー的に分かりやすく書かれています。子育てに正攻法はないけれども、適切な方向に導くための考え方はある、という風に、具体的なケースを交えて色んなポイントが紹介されています。この本を手にした僕も発達障害(ADHD)と診断されているひとりです。この本を読んで、より自分のことが分かったような気がして感謝するとともに、今度は、僕自身が誰かのためにできることを探そうと思えるきっかけにもなりました。またこの本は、ブックカフェ京北で取り上げた際にも好評でした。
人間の条件
ハンナ・アーレント著、清水速雄訳『人間の条件』筑摩書房1994年
ハンナ・アレント(1906~1975年)はナチスドイツの迫害を逃れてアメリカに渡り執筆活動をしていたユダヤ人女性で、マルティン・ハイデガーに学んだ哲学者です。この本は、アレントの代表作とも代表作であり、人間とはいかなる存在かを、古代ギリシアからの哲学史の文脈で論じたものです。アレントによれば、人間とは、古代ギリシア以来、他の動物とは異なり、言語を用いてコミュニケーションを行うことで、各自がいかなる存在であるかを人々の間で共有してゆき、物語として残していこうとする生き物だとされます。この行為をアレントは「活動」と呼び、生きる必要に迫られて行う「労働」や、使い物になるかならないかで価値が決められる「仕事」とは区別された、人間の最も高貴な行為であると、アレントは考えました。政治とは何か、人間とは何かという問いに対してひとつの大きな答えを提出したこの本は、今も多くの人びとに読み継がれています。選挙や国会といった具体的な事柄についてではなく、哲学的に政治を説明しており、読む人の視野を広げてくれる一冊です。
ハンナ・アレント(1906~1975年)はナチスドイツの迫害を逃れてアメリカに渡り執筆活動をしていたユダヤ人女性で、マルティン・ハイデガーに学んだ哲学者です。この本は、アレントの代表作とも代表作であり、人間とはいかなる存在かを、古代ギリシアからの哲学史の文脈で論じたものです。アレントによれば、人間とは、古代ギリシア以来、他の動物とは異なり、言語を用いてコミュニケーションを行うことで、各自がいかなる存在であるかを人々の間で共有してゆき、物語として残していこうとする生き物だとされます。この行為をアレントは「活動」と呼び、生きる必要に迫られて行う「労働」や、使い物になるかならないかで価値が決められる「仕事」とは区別された、人間の最も高貴な行為であると、アレントは考えました。政治とは何か、人間とは何かという問いに対してひとつの大きな答えを提出したこの本は、今も多くの人びとに読み継がれています。選挙や国会といった具体的な事柄についてではなく、哲学的に政治を説明しており、読む人の視野を広げてくれる一冊です。
幕末鼓笛隊——土着化する西洋音楽
奥中康人『幕末鼓笛隊——土着化する西洋音楽』大阪大学出版会2012年
この本は、戊辰戦争の頃、京北・山国から出兵した農兵隊、山国隊の軍楽の分析を中心に、幕末期に西洋音楽、中でも鼓笛隊音楽がどのように日本に受容されていたかについて書かれてある一冊です。山国では毎年、大人から子供への講習を通して受け継がれる鼓笛隊ですが、そのバチ(=スティック)の持ち方、叩き方などを見たところ、和式ではなくむしろイギリス式であることが分かりました。それが当時、どのようにイギリスから伝わり、そして今日に至るまで教えられてきたかを通して、文化の保存と継承について考えることができる、大変興味深い本です。特に、後半で、他の地域も参照しながら論じられている「保存」と「継承」の意味については、地域づくりに携わる人にはぜひ考えていただきたい内容でした。ある地域では、時代によって人びとが演奏を続けられるように、その当時の人数や楽器の都合によって、平気で楽譜や奏法を変えてきたとのことです。つまり保存と継承とは違う、ということです。保存のように、オリジナルなまま残すことと同じか、もしかするとそれ以上に、ある文化を残そう、引き継いでいこうとする、その行為(=継承)それ自体に大きな意味があり、その動きがあるかないかが、地域の力にも結び付いていくのではないかと思いました。
この本は、戊辰戦争の頃、京北・山国から出兵した農兵隊、山国隊の軍楽の分析を中心に、幕末期に西洋音楽、中でも鼓笛隊音楽がどのように日本に受容されていたかについて書かれてある一冊です。山国では毎年、大人から子供への講習を通して受け継がれる鼓笛隊ですが、そのバチ(=スティック)の持ち方、叩き方などを見たところ、和式ではなくむしろイギリス式であることが分かりました。それが当時、どのようにイギリスから伝わり、そして今日に至るまで教えられてきたかを通して、文化の保存と継承について考えることができる、大変興味深い本です。特に、後半で、他の地域も参照しながら論じられている「保存」と「継承」の意味については、地域づくりに携わる人にはぜひ考えていただきたい内容でした。ある地域では、時代によって人びとが演奏を続けられるように、その当時の人数や楽器の都合によって、平気で楽譜や奏法を変えてきたとのことです。つまり保存と継承とは違う、ということです。保存のように、オリジナルなまま残すことと同じか、もしかするとそれ以上に、ある文化を残そう、引き継いでいこうとする、その行為(=継承)それ自体に大きな意味があり、その動きがあるかないかが、地域の力にも結び付いていくのではないかと思いました。
しんがり——山一證券 最後の十二人
清武英利『しんがり——山一證券 最後の十二人』講談社2013年
平成史に残る大事件のひとつ、山一證券の経営破綻。野沢社長の会見を鮮明に覚えている人もいるでしょうが、僕は当時7歳、もちろん何も覚えていません。この当時、舞台裏で何が起こったのかをドラマティックに描き出したのが、この本です。隠蔽、裏取引、そして会社が破綻に向かう中、清算を請け負って全容解明に努め、会社を終わらせる仕事に奔走した「最後の十二人」。それぞれのあまりに人間的な有様に、サラリーマンの機微、そして人間の機微のようなものを感じます。著者の清武英利については、2011年の読売ジャイアンツ人事を巡って起きた、いわゆる「清武の乱」を記憶している方も多いと思います。当事件についての評価は様々ですが、著者のノンフィクション作家としての筆力はすばらしく、他の作品と共に興味の尽きないものばかりです。時事問題が好きな方にとっては、池井戸潤とはまた別の楽しみ方がある作品として、おすすめです。
平成史に残る大事件のひとつ、山一證券の経営破綻。野沢社長の会見を鮮明に覚えている人もいるでしょうが、僕は当時7歳、もちろん何も覚えていません。この当時、舞台裏で何が起こったのかをドラマティックに描き出したのが、この本です。隠蔽、裏取引、そして会社が破綻に向かう中、清算を請け負って全容解明に努め、会社を終わらせる仕事に奔走した「最後の十二人」。それぞれのあまりに人間的な有様に、サラリーマンの機微、そして人間の機微のようなものを感じます。著者の清武英利については、2011年の読売ジャイアンツ人事を巡って起きた、いわゆる「清武の乱」を記憶している方も多いと思います。当事件についての評価は様々ですが、著者のノンフィクション作家としての筆力はすばらしく、他の作品と共に興味の尽きないものばかりです。時事問題が好きな方にとっては、池井戸潤とはまた別の楽しみ方がある作品として、おすすめです。
「クラシック音楽」はいつ終わったのか?
岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?——音楽史における第一次世界大戦の前後』人文書院2010年
「クラシック音楽」はいつ終わったのか?——これはどういう意味でしょうか。著者である音楽学者の岡田暁生は、西洋音楽とは、作曲者が楽譜上で(構造的に)設計した音楽のことであり、クラシック音楽とは、その西洋音楽の歴史のある期間に作られていた音楽のことを指すといいます。そしてこの「ある期間」の終わりこそがクラシック音楽の終わりであり、それが第一次世界大戦であった、というのが、本書を貫くモチーフです。第一次世界大戦までのヨーロッパ世界で共有されてきた、リズムや調整がある音楽こそ美しいという価値観は、大戦に向かう上で起こった社会の工業化、機械化、ナショナリズム化によって、あらゆる方向に変貌を遂げます。ある音楽は、変拍子や無調になり(=つまりぐちゃぐちゃに聴こえる)、またある音楽は機械音、騒音を取り入れることに美しさを求めたり、またある音楽は、戦争中の排外主義への反省から、作品に意味を込めず、ただ音楽としての楽しみを取り戻そうと作られたりしました。その結果、ベートーヴェンやシューマン、ブラームスにイメージされるようなクラシック音楽は「終わり」、音楽は新しい時代を迎えることになります。
「クラシック音楽」はいつ終わったのか?——これはどういう意味でしょうか。著者である音楽学者の岡田暁生は、西洋音楽とは、作曲者が楽譜上で(構造的に)設計した音楽のことであり、クラシック音楽とは、その西洋音楽の歴史のある期間に作られていた音楽のことを指すといいます。そしてこの「ある期間」の終わりこそがクラシック音楽の終わりであり、それが第一次世界大戦であった、というのが、本書を貫くモチーフです。第一次世界大戦までのヨーロッパ世界で共有されてきた、リズムや調整がある音楽こそ美しいという価値観は、大戦に向かう上で起こった社会の工業化、機械化、ナショナリズム化によって、あらゆる方向に変貌を遂げます。ある音楽は、変拍子や無調になり(=つまりぐちゃぐちゃに聴こえる)、またある音楽は機械音、騒音を取り入れることに美しさを求めたり、またある音楽は、戦争中の排外主義への反省から、作品に意味を込めず、ただ音楽としての楽しみを取り戻そうと作られたりしました。その結果、ベートーヴェンやシューマン、ブラームスにイメージされるようなクラシック音楽は「終わり」、音楽は新しい時代を迎えることになります。
ミュージッキング——音楽は〈行為〉である
クリストファー・スモール著、野沢豊一・西島千尋訳『ミュージッキング——音楽は〈行為〉である』水声社2011年
突然ですが、「音楽」とは何だと思いますか?長い歴史の中で、音楽とは「音楽作品」のことだとされてきました。例えば僕たちは、「ベートーヴェンの第九」というモノ(=音楽)があると、自然と考えています。この本は、そんな音楽観、つまり、音楽というモノ(=音楽作品)は物理的には存在しない、といい、音楽とはモノではなくて「行為・活動」だと主張したことで、音楽の世界に衝撃を与えた一冊です。音楽室には偉大な作曲家の肖像画が並び、音楽の授業で僕たちはリズム、メロディ、ハーモニーを徹底的に学びます。ここから分かることは、音楽とは作曲家の作品であり、演奏とは作曲家の作ったものを正確に再現することだとされているということです。このように、音楽作品や作曲家に偏って焦点を当ててきた傾向がある中で、音楽に取り組むときの人々の関係性や背景など、行為としての音楽(to music)に注目を向けることが、本書の目的です。音楽って何だろう、自分がしている演奏にどんな意味があるんだろう、と一度でも思ったことがある方にはぜひ読んでほしい一冊です。なお本書の解説をブログに書いていますので、よろしければご一読ください。
https://note.com/masanori_tokiwa/n/n6c7feca6d255
突然ですが、「音楽」とは何だと思いますか?長い歴史の中で、音楽とは「音楽作品」のことだとされてきました。例えば僕たちは、「ベートーヴェンの第九」というモノ(=音楽)があると、自然と考えています。この本は、そんな音楽観、つまり、音楽というモノ(=音楽作品)は物理的には存在しない、といい、音楽とはモノではなくて「行為・活動」だと主張したことで、音楽の世界に衝撃を与えた一冊です。音楽室には偉大な作曲家の肖像画が並び、音楽の授業で僕たちはリズム、メロディ、ハーモニーを徹底的に学びます。ここから分かることは、音楽とは作曲家の作品であり、演奏とは作曲家の作ったものを正確に再現することだとされているということです。このように、音楽作品や作曲家に偏って焦点を当ててきた傾向がある中で、音楽に取り組むときの人々の関係性や背景など、行為としての音楽(to music)に注目を向けることが、本書の目的です。音楽って何だろう、自分がしている演奏にどんな意味があるんだろう、と一度でも思ったことがある方にはぜひ読んでほしい一冊です。なお本書の解説をブログに書いていますので、よろしければご一読ください。
https://note.com/masanori_tokiwa/n/n6c7feca6d255
bottom of page